タラレバと寿命
ガンに限ったことではないかもしれないが、あの時こうしていれば、あるいは、していなかったら、ガンにならなかったのではないか?
違う病院の違う主治医だったら?
違う治療法だったら?
あの時、違う選択肢をしていたら?
再発転移しなかったのではないか?
タラレバは、言い出したら、きりがないし、後悔と自責の念で、気分は最悪になるばかりだ。
ステージ4のがん患者に、時間はそれほど残されていない。
私は、残された人生を、穏やかに楽しく生きるために、タラレバを一切言わないようにしようと思う。
たぶん、寿命は生まれた瞬間に決まっているのだと思う。
それなら、与えられた選択肢と時間のなかで、幸せと思える瞬間をなるべくたくさんあじわいたい。
ガンと共に生きるこれからの人生
昨日、ガン研有明病院で、ペット検査をしました。
結果は、骨盤辺り、背骨、頭蓋骨への骨転移と、胸のリンパ節への転移ということでした。
来週から、薬物治療を始め、同時に、骨の痛みに対する治療も始めるとのことでした。
先週、遠隔転移を告げられた時、現実味がなく、涙も出なかったのですが、いざ、痛み止めの薬や薬剤の冊子を前にすると、何と言ったらいいのか、どーんと暗い気持ちになりました。
そして、心臓がドキドキしてきました。
私は、三年前のガン告知以来、何故か、将来、遠隔転移するのではないかという予感が強くありました。
その日までの貴重な時間は、病気のことを忘れて、やりたいことは、先延ばしにせず、今やる、ということをモットーに生きて行こうと思いました。
いつでも好きな旅に行けるように、長年の会社員生活を卒業し、自由な身となりました。
コロナ禍にも関わらず、国内、海外、様々な場所を訪ね、旅ブログも始めました。
手術、抗がん剤、放射線治療で、極端に弱ってしまった体力を、自主トレで回復させて、趣味の登山で、登れていなかった北穂高の頂上にある、憧れの北穂高小屋にも泊まることができました。
何だか、この三年余り、生き急いでいた感があります。
そして、遠隔転移。
これからの人生、全く違ったものになると思いますが、生きる為の治療という人生を選んだ以上、出来る範囲は極端に狭くなりますが、やりたいことはやる、というスタンスで生きていきたいです。
ガンが遠隔転移してしまったようだ。
三ヶ月前の8月くらいから、股関節が痛かった。
ヨガをした後だったので、そのせいかな、と思い、しばらく様子を見ようと思っていた。
立ったり、座ったりする時、痛むだけで、歩く時は、何とももなかったので、9月10月の初旬にかけて、6回も4時間から6時間くらいの軽登山に出かけていた。
最後に登った栗駒山では、右足を高く上げることが出来なかったので、ちょっと難儀した。
それでも、まさか、骨に転移したとは思わなかったので、10月12日から3泊4日で沖縄に旅行した。
ブレーキやアクセルを踏む時、微かな痛みがあったが、フィンをつけてシュノーケルも、痛みなく出来た。
沖縄旅行から帰った翌日、慈恵大学病院で頭のMRIをとったら、至急、癌研有明病院で診てもらうようにと、紹介状を渡されて、金曜日にガン研に行った。
形成外科で股関節のレントゲンを撮って、乳がんの骨転移ようだが、他に転移箇所はないかということで、翌週、月曜日にペットCTの予約をとってもらった。
2人に1人はガンで死ぬ?
2人に1人はガンで死ぬ。
よく耳にする言葉だ。
確かに、80や90才になれば、ガンは、老化した細胞が引き起こす加齢性疾患であり、2人に1人はガンで死んでしまうというのは、正しいのかもしれない。
寿命が長くなりすぎたのが、原因だ。
しかし、50代、60代の皆さん。
ガン患者って、周りにそんなにいます?
その年代でガンを患うということは、まだまだ少数派。
"2人に1人はガンで死ぬ"
60代以下の人に、この言葉を言わないでほしい。
まだ、死ぬには早い。
70代となると、やや微妙?
身近なところで、同世代のガン患者には、なかなか出会わない。
ガンを宣告された瞬間から、ガン患者は孤独になる。
家族や親しい友達が、いくら励ましてくれても、彼らはガンの当事者ではない。
医者は忙しく、診察室にいられる時間は限られている。
相談する人もなく、いきなり出会った黒い巨人の正体を知ろうと、ひとりで格闘する。
病院から配布された患者向けの説明書は、何度も繰り返して読んだ。
自分の患っている乳がんはどんなタイプか?
手術はどのように行われるのか?
手術後の治療法は?
等など。
国立がんセンター等、他のがん専門病院のホームページにも、何度も目を通した。
それでも飽きたらず、がんの治療法、生存率、ガン患者ブログ、様々な検索ワードを打ち込み、孤独なネットサーフィンを毎日、明け方まで続けることになる。
治療前で、ただでさえガン細胞が増え続けている最中なのに、明け方までのネットサーフィンのせいで、寝不足のまま出勤する。
寝不足からくる疲労で、免疫力はますます低下し、ガン細胞は容赦なく、加速度的に増殖していく。
そんな妄想に取り憑かれながらも、ネットサーフィンを止めることが出来ない。
ガン患者は、様々な治療の選択肢を迫られる。
昨日まで、ガンとは無縁な生活を送っていた素人が、自分の命に関わる選択をしなければならないとは、何と理不尽な。
孤独な戦い。
手術前の私は、新参者だが、
手術が終わったばかりの人。
抗がん剤治療中で、かつらを被った人。
治療終了後、長年、再発のないガンサバイバー。
肝臓に転移したが、無治療を選んだ人。
転移して9年間、ずっと抗がん剤治療を続けながらも、前向きで元気な人。
医者から宣告された余命はとっくに超えていて、今年は越せないと言われている、と明るく笑う人。
骨から脳にまで転移しているけど、新薬や新しい治療法に期待をしている、人間って、案外簡単に死ねないものよ、と励ましてくれる人。
様々なステージの乳がん患者が、一堂に会している。
そして、自分の話を聞いてくれる。
また、それぞれの体験談、がんへの向き合い方を話してくれる。
ネットのがん情報の海で、溺れかけていたところを、救い出された気がした。
コロナの為、しばらく休会していたが、その患者会が、今年、2年ぶりに再開された。
ひとりのガン友が放った言葉が、印象的だった。
ガン患者は、常に、"たられば" で心が揺れる。
あの病院に行けばよかった。
全摘で無くてもよかったんじゃないか。
もっと早く、抗がん剤を打てばよかった。
抗がん剤を打たなくてもよかったんじゃないか。
どの治療を選択したかは自分の判断。
その結果、再発したとしても、それは運命とあきらめる。
キッパリとした言い方だった。
そういう肝の座った考えを聴くと、ちょっとした体の不調があると、ガンの再発か、とうろたえてしまう自分は、見習わなければいけないな、と思う。
ファイブスターカフェの海南チキンライス。
東京で1番美味しい❣️、、、と思う。
ガン専門病院
3年前、会社の人間ドッグを受けた渋谷の総合病院で、乳がんの確定診断を受けた。
乳がんが2センチくらいまで成長するには、10年位かかるということだけど、私の場合は、毎年エコーやマンモグラフィーをやっていたにもかかわらず、いきなり2センチ超えの乳がんが見つかった。
ずっと見過ごされていたのか、あるいは、成長の早いガンだったのか?
毎年検診をして、早期に乳がんを発見しましょう、って何?
乳腺科の医師は、乳がんの標準治療は、どこでやっても同じだから、一緒にがんを直しましょうと言ってくれたが、見過ごされた病院で治療を受ける気はしなかった。
やっぱり、ガン専門病院でしょう、ということで、がん研有明病院と国立がん研究センターという二つの選択肢を考えたが、まあ、乳がんなので、がん研あたりが妥当かなということで、がん研を選んだ。
もし、膵臓がんだったら、迷わず国立のほうを選んでいただろう。
がん研有明病院は巨大病院である。
初めて訪れた時、まず感じたのは、この待合室にいる百人近い患者達は、皆ガン患者なんだなあという驚きだった。
時々、点滴を引いた入院患者を見かけることはあるけれど、外来患者の殆どは病人には見えない。
年代も様々だ。
ガン患者は、孤独だが、ここには、こんなに仲間がいる。
今回、再発への恐怖を抱えて来院したが、大勢のガン患者の中に紛れ込んで、何だかほっとした。
目が合うと、あなたもガンですか、そうは見えませんね、お元気そうですね、と心の中で語りあっているような気がする。
診察の結果は、他の病院でCTをとって、転移性肺がんと確定診断がでたら、戻ってきて下さい、とのことだった。
ガン専門病院の線引きは、はっきりしている。
ガンが再発するという事
手術、抗がん剤、放射線というガン治療3点セットを終了し、あとは毎日のホルモン剤治療のみとなった頃から、再発•転移への不安が強くなった。
治療を受けた癌研有明病院は、定期的に局所再発の検査はするが、転移に関する検査は一切しないということだった。
以前は、骨シンチとか、CTとか、転移の検査も定期的にやっていたが、厚生労働省の指導があり、2019年あたりから、やらないことになったという。
初めてそれを聞かされた時は、なんて冷たい、なんて不親切なと、病院から突き放されたような気持ちになった。
しかし、再発転移が比較的低い乳がん患者の転移検査を、全て保険医療で賄うとなると、財政が破綻してしまうので、仕方がなかったのだろう。
乳がんは、肺、肝臓、骨、脳に転移しやすい。
でも、病院で検査はしない。
結局、自分で、人間ドッグなり、健診なりを定期的に受けて、自衛するしかないということだ。
手術から一年くらい経った頃、近くの乳腺クリニックの女医に、いち早く再発転移をみつけるにはどうすればいいか、を相談に行った。
女医曰く、結局、乳がんは転移したら、もう治ることはないので、早く転移を見つけても、生存期間にかわりはない。
早く見つけたら、その分、抗がん剤治療の期間が長引くだけなので、早期発見にはあまり意味がない。
あとは、哲学の問題だから、と。
よくわからなかった。
乳がんの転移は、抗がん剤を使っての延命治療しかないということ?
何度か、聞かされた言葉だが、その時も、素直に受け入れることは出来なかった。
というより、受け入れたくなかった。
医者から"哲学の問題" 等という言葉も聞きたくなかった。
あれから時間が経って、少しずつ、"そのこと'' を受け入れるられるようになった。
転移したら、すぐに死ぬことはないけど、抗がん剤治療をしながら5年、運が良ければ10年ほどは、癌と共存しながら生きていけるということ。
あるいは、運命と受け入れ、無治療で、最後だけは痛みを取るための終末医療を受けて、2年くらいで、寿命を全うするか。
現実的には、その二択。
悲しいけど。
どちらを選ぶにしても、死ぬまでは生きていかなきゃならない。
心を病に絡め取られることがなく、残された貴重な時間を、自分らしく生きていくことは出来るのか?
今日、アマゾンのレンタルでノマドランドを観た。
肺がんが脳に転移しながらも、病院で死ぬことを選ばず、アラスカへの旅立っていったノマドの老女、スワンキーに自分を重ねてしまった。
病気の心
3年前、乳がんの診断を受けた。
突然、歩いていた道の真ん中に大きな口を開けていた落とし穴に、真っ逆さまに落ちた気分だった。
道の先に見えていた様々なやりたい事柄には、もうたどり着けないと思った。
道半ばにして倒れる。
よく、そんな言葉を呟いていた。
人生100年なんて、誰が言った。
あれから、3年。
仕事は辞めた。
病の心と体は、旅を再開することで、徐々に癒されていった。
しかし、乳がんは、何年経っても再発するリスクのあるガンだ。
私の場合、顔つきの悪い増殖性の高い部類のガンということだった。
つまり、再発転移のリスクの高い乳がん。
自分の寿命が、病を得る前に漠然と思っていたような長いものではない、と理解した。
やりたい事は、前倒しでやっていこう、と心に決めた。
生憎、コロナの行動制限の時期と、病からの回復期が重なったが、コロナ等と比較が出来ないくらい、死を身近に感じているガン患者にとって、自分のやりたいことが先だ。
残された時間は、そう長くはないのだから。
コロナ禍で亡くなってしまったガン友は、貴重な最後の時間を奪われた。
私は、変わってしまった外見をカバーして、恐る恐る南の島の海に入り、昔のようにシュノーケルで熱帯魚と戯れた。
極端に低下してしまった体力を回復させるために、近場の山で自主トレーニングして、北穂高岳にも登頂した。
北海道や東北をドライブし、しまなみ海道を自転車で横断もした。
抗がん剤治療、放射線治療が終わったばかりの2年前の今頃、まだまだ登山をするほどの体力のなかった1年前の今頃から比べると、見違えるように元気になった。
私は、旅をすることで体力をつけていった。
来週末は、雪山に登る予定で、昨日は、トレッキングポールを新しく買った。
5月の下旬から7月初旬まで、スペイン巡礼とイタリアのドロミテのハイキングの旅を予定していて、航空券や何泊分かのホテルも予約した。
いつ爆発するかも分からない再発という時限爆弾を抱えながらも、何となく、もう自分は治ったと思い始めていた。
私は、調子に乗っていたのか?
昨日、何日か前に届いていた健康診断の結果の封筒を開いて、目の前の風景が一瞬にして変わってしまった。
肺がん健診の要精密検査の通知。
乳がんは、肺に転移しやすい。
さっきまで、近くの目黒川の桜の花筏の写真を撮りにいって、友達に送って喜んでいたノー天気さは、どこにいった。
ガンを宣告された3年前の病気の心に一瞬にして戻された。
スペイン語のラジオ講座もスペイン巡礼のガイドブックもどうでも良くなった。
もう、病気に心が支配されてしまった。
昨日と今日に何の違いもないのに。